韓国最初の仁川内里教会 |
 |
|
1891年当時、外国文化が急速に受け入れられていた仁川地域に、
米国の宣教師ヘンリー・アベンゼラーが建てた韓国最初の教会です。
|
独立記念館 |
 |
| |
独立記念館は、100年前のアジアを支配していた野蛮な歴史と、それに立ち向かった自由と独立に向けた闘争
の歴史を記録した記念館です。7つの展示館に8万点の遺物や資料が展示されています。
苦難の歴史を忘れず民族の大切さを考えるために、全国民が自発的に募金運動を行い、関連資料を無償で寄贈し、
1987年8月15日に設立されました。
|
| 西大門刑務所歴史館 |
 |
| |
西大門刑務所は、韓国民族の抗日独立運動に対する日本帝国の代表的な弾圧機関であり、約80年にわたって韓国の近・現代史の激動期における受難と民族の恨みがこもった歴史の現場です。
こちらの監獄は、日本人の設計により、当時5万ウォンの費用をかけて建てられました。
日本帝国は韓国を占領し、日本帝国の侵略に対抗する多くの愛国烈士たちを投獄する為の監獄を必要とするようになりました。
そして、大韓帝国時代に自主独立の象徴として建てられた独立門の近くに大規模な監獄を建てました。
国の主権が日帝に奪われると、これに強く対抗する民族独立運動が全国各地で起こり、日本帝国は多くの愛国烈士たちを逮捕、投獄しました。
480坪規模の監獄と80坪ぐらいの付帯施設で成っており、約500人もの人数が収容されていました。
当時、全国8道の監獄の収容面積が300坪であった事から、大変規模が大きい監獄であった事がわかります。
獄舎は全部で15棟でしたが、現在は7棟だけが原型のまま保存されています。
中でも、獄舎3棟と死刑場は1988年2月20日に史蹟第324号として指定されました。
現在は、祖国の独立の為に日本帝国の侵略に立ち向かい、投獄され、酷い拷問と弾圧の末に殉国した愛国烈士の魂を慰め、次の世代にその自主独立精神を伝える、生きた歴史教育の場として用いられています。 |
| |
 |
|
 |
|
西大門刑務所歴史館の入口です。
投獄舎たちの脱獄を防ぎ、動静を監視する為に設置された赤レンガ造りの塀と望楼が
そのまま保存されています。 |
|
| |
| |
| |
 |
|
日本帝国の侵略と弾圧に抵抗して投獄された西大門刑務所設立の背景とその歴史的な過程を7分間の立体映像を通して知る事ができます。 |
|
| |
 |
|
日本帝国の拷問と弾圧に関する獄中生活の模様が展示されており、観光客が直接体験できるように壁棺と独房を再現、また、死刑場の模型が立体的に展示されています。 |
|
| |
 |
|
地下牢獄の模様が、蝋人形にてわかりやすく再現されています。 |
|
| |
 |
|
7棟の獄舎が当時のまま、保存されています。
第10・11・12獄舎は史蹟第324号に指定されています。 |
|
| |
 |
|
殉国先烈たちの自主独立への強靭な意思、そしてその苦痛をより身近に感じる事ができるように、拷問・裁判・収監・死刑などを直接体験できます。 |
|
| |
 |
|
祖国の独立の為に日本帝国の侵略に立ち向かい西大門刑務所で殉国した烈士たちの魂を偲ぶための追悼碑です。
現在は、資料によって考証された殉国烈士たちの名が記録されています。
こちらには、以前、前小泉首総が訪れて、一時話題を呼んだところでもあります。 |
|
| |
 |
|
1923年に建てられた木造の建物で、祖国の独立を望みながら死刑宣告を受けた烈士たちの死刑が執行された所です。史蹟第324号に指定されています。
こちらの死刑場の塀の中と外には、ポプラの木が1本ずつ立っていますが、死刑場の塀の外にあるポプラの木は伸び伸びと高くそびえているにも関わらず、塀の中に立つポプラの木は、途中で成長が止まり、小さな木になっています。
死刑を受ける寸前の多くの囚人らが、何とも言えない苦しみと無念な思いをこちらのポプラの木にしがみ付き痛哭したために、呪われて成長しなかったという伝説が残っています。 |
|
| |
 |
|
死刑場のすぐ裏には、死刑を受けた後の遺体を捨てる為の秘密通路があります。
日帝は、自分たちの蛮行を隠す為に閉鎖し隠していましたが、1992年独立公園を造成する際に発見され、入口から40mまでの部分が復元されています。 |
|
| |
 |
|
女性だけを投獄・収監する為に建てられた女性獄舎です。
柳寛順烈士が日帝から酷い拷問を受けた末に殉国した所で、柳寛順窟とも呼ばれています。 |
|
| |